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トルコ2日目。
朝早く、街に爆音で鳴り響く不思議な音楽で目が覚める。
アザーンで起きるというのと乙なもの pic.twitter.com/6IcRPyHlSm
— ひーほーP (@goodrivernight) 2020年1月28日
この不思議な音楽の正体は、アザーンという。
決まった時刻に流れ、イスラム教徒に礼拝を促すためのものだ。
旅先の1日だけ、これに起こされるというのは乙なものだが、毎日起こされると流石に嫌になりそうな気がする。
ともあれ、早起きできた。
この日はまず、かねてより楽しみにしていたアヤソフィアを訪れる。
道中の、イスタンブールの朝の風景。
人はまだ少ない。
雨の中を歩いて程なくすると、目当てのアヤソフィアが姿を現した。
アヤソフィアを訪れるのを楽しみにしていた理由は、その特異な歴史にある。
この建物は現在モスクであるが、元来はキリスト教の教会として建てられた。
ビザンツ帝国時代の537年、皇帝ユスティニアヌスの命によって建設された教会は、モザイク画など独特の装飾で飾られていた。
しかし、1453年、オスマン帝国がコンスタンティノープルを侵略したことが転機となる。メフメト2世はこのアヤソフィアを壊さずモスクに改造するよう命じたのだった。
かくして、教会からモスクへと用途が変更されたことで、この建物はビザンツ時代の教会の建築様式と、オスマン時代のモスクの建築様式が融合した唯一無二のものとなった。
果たしてその融合とは、どのような形でなされているのか。これを見るのが非常に楽しみだったのである。
いざ、内部へ。
入口のアーチをくぐると、いきなり興味深い装飾が2つ目の前に現れた。
天井に、キリストとキリストに跪くビザンツ皇帝の絵が描かれている。
そしてそのすぐ近くには、1800年代半ばのオスマン皇帝アブデュルメジトのサインが、モザイクで描かれている。
こうしたものが並んでいるというのが、この建物の面白さだろう。
こうしたモザイクは、ビザンツの様式であり、オスマンでは普通こうした装飾をしない。アブデュルメジトは、この建物の歴史に敬意を払い、自らのサインをモザイクで作らせたという。
歴代のビザンツ皇帝が、この建物の保存ということに強い興味を持ったことが、特色あるキリスト教文化とイスラム教文化の融合の場を作り上げるのに功を奏したと言えるだろう。
内部。
大空間である。壁の多くが金色であるが、品があり、荘厳な雰囲気を漂わせる。
とてつもない建築である。
キリストの両サイドにはイスラム書道の装飾である巨大なカリグラフィーが見える。
向かって右のものはアッラー、左はムハンマドと書いてあるらしい。
キリスト教美術とイスラム教美術が隣り合い、ひとつの建築物の中に共存しているというのは、ここをおいて他に類を見ないだろう。
マリアとキリストの右側にあるのがビザンツ皇帝コンスタンティヌス。コンスタンティノープルの街を作ったとされる彼は、街の模型を差し出している。
左はユスティニアヌス。彼は、アヤソフィアの模型を差し出している。
外観。
時間を忘れるほど楽しみ、3時間ほど滞在したかもしれない。
非常に美しいので、ただ眺めるだけでも楽しめるし、内部に歴史的に面白いスポットが数多くある。是非、訪れてみてほしい。
次に向かったのは、金角湾にかかっているガラタ橋。この辺りはサバサンドという食べ物で有名らしいので、食べに向かう。
200円程度だが、大きく食べ応えがある。
味付けもなかなか悪くなかった。
イスタンブールで最後に向かったのは、コンスタンティノープルの城壁。
前の記事で触れたように、コンスタンティノープルは強固な城壁で守られた要塞都市であった。その城壁が残っているという。
地下鉄に乗り、市街から少し離れたその地へ向かう。
非常に良い状態で残っている。世界遺産なので、保存に力を入れているのかもしれない。
塔の高さは20メートル近くもあり、見上げる高さである。これが7キロも続く。たしかに、攻め落とすのは容易ではないだろう。
攻めあぐねたメフメト2世は結局、最新鋭の大砲をもってこの城壁を打ち破らんとし、成功したという。
歴史上の一事件に、思いを馳せる時間であった。
3日目、ベルリン編に続きます。