2019-12-20 竹田城にて 日記 山城の 浮き出でたるは 荒涼 村上源氏の流れであり、一時期は播磨一帯を支配した赤松氏。大名家としての赤松は、竹田城主であった赤松広秀が家康に切腹を命じられたことで終わりを告げる。 城主を失った竹田城は、太平の世となってからは用をなさず、ただ朽ちていく。 周りの山から隔たれてひとつ前にせりだし、粗い土のような色で遺構を残す姿は、どこか寂しい感じを与える。